大正10年に造られたというX橋。
仙台の人には馴染みあるX橋、
仙台駅の北側にあり線路によって分断された元寺小路と名掛丁のそれぞれ東西両端を結ぶ形が>--<になっており、正式名称を宮城野橋という。
橋の両端が二股に分かれているのがXに見えることからX橋と呼ばれるようになりました。
(大正元年)
(昭和3年)
かく言う私も正式名称を知りませんでした。
宮城野橋は大正10年に当時高価なアスファルト舗装で造られ、戦後昭和36年に二代目ができたらしいですが、その際全て新しくしたのか部分的に造り直したのかよくわかりません。
したがってアエルの裏に位置するレンガでできた跨道橋すなわち宮城野橋西レンガアーチがいつのものなのかよくわかりません。
もし誰かわかる方がいたら教えてください。
後日仙台市の道路管理課管理係より返答をいただき、昭和36年に作られたものだそうです。
X橋の一部の使われなくなった石材は仙台駅東口にある塩竈神社の石畳に再利用されていることはあまり知られてないでしょう。
名掛丁藤村広場にあるモニュメント
X橋はもともと旧仙台城二の丸の第二師団と、歩兵第四連隊(現榴岡公園)や練兵場(現宮城野原公園総合運動場)との間を結ぶため建設されました。
現在新宮城野橋はほぼ完成に近い状態まで出来上がってきていますが、先ほどのレンガアーチ状の跨道橋は写真撮影時2月7日現在まだありました。
都市計画で宮城野橋が新しくなる、道路が広くなる、渋滞が緩和され便利になる。
しかしレンガアーチはどうなるんだろう?
このレンガ造りのアーチトンネルはとても味があって好きでした。そのまま当然残されるのだろうと勝手に思っていました。
しかしながら、先日それも壊されてしまうということを知人より知らされて大変ショックを受けました。
壊されるのもショックでしたが、壊されることが全く報道されないということです。
アエルの展望台から撮った写真を見ると現在片道が完成されてもう片方がちょうど跨道橋にぶつかるようです。
今も作業は進んでいます。
背の高いビルの裏にあるのでもしかしたら仙台の人でも知らない人が多いのかもしれませんが、数少ない仙台中心部の遺構がなくなってしまうのは大変残念なことだと思います。
※現在、仙台市の道路管理課管理係の話によると保存の有無に関して歴史的価値並びに保存方法を含め、総合的な観点より検討中だそうです。
また宮城野橋の延長線から一本入った元寺小路沿いに一軒だけあるお店の早坂陶器店は周辺の区画整理で2月いっぱいで移転するそうです。
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