青葉城から城下町へと続く大町通と奥州街道とが交差するところを「芭蕉の辻」といいます。
現在明治安田生命ビルの前に碑が建っており、由来などが書いてあります。
「芭蕉の辻」の芭蕉は松尾芭蕉からきているのかなと思いがちですが、実はまったく関係ないのです。
それでは、名前の由来はなんなのでしょうか。
それにはいくつか説があり、
ひとつは…
その昔その場所は札番所(ふだばんどころ)で、禁止事項などを公示した制札(せいさつ)を建てていたところでした。よく時代劇で見る御触れ書きですね。
そこから札の辻と呼ばれていたのですが、人が集まる賑やかな場所であったので「場所の辻」から「ばしょうの辻」→「芭蕉の辻」となった説。
ふたつめは…
政宗の命で芭蕉という虚無僧が開府以前の仙台(千代)の情勢を監視し報告をする任務をし、仙台築城におおいに貢献したので札の辻の四隅に建てた(挟間を備えた)城郭式楼櫓へ住まわせました。その後街の喧騒を嫌い名取の増田に居住したそうですが、その後その虚無僧を称え「芭蕉の辻」と呼ぶようなったという説。
三つ目は辻に植物の芭蕉が植えられていたからという説。
なんか三択クイズのようになってしまいましたが(スーパーひとし君人形!)、どれも苦しいような気がするのは私だけでしょうか。一般的にはふたつめのが有力な説だとか。
名前の由来はこのくらいにして、100年前の地図を見ると芭蕉の辻の近くに「真壁」と表記されています。
これは現在新寺小路にある(以前は広瀬通にあった)印刷や紙類を扱う真壁商店さんの前身なのです。
…と言われてもみなさんよくわからないと思いますが、真壁商店さんはうちの取引先でしかも私の中学の同級生の家です。
以前彼から「うちもけっこう古くて、昔は芭蕉の辻あたりで旅館業をやっていたんだ」という話を聞きました、
それが、この地図に載っていたのです!古地図で見つけたときはとても感動しましたね。
細かく見ていくと昔の地図っておもしろいですね、意外な発見があったりして。
ちなみに地図には紅久さんや一力さん(一力健治郎と関係があるのでしょうか?)も表記されていますね。
また南町通から見ると芭蕉の辻より手前は少し道幅が広くなっています。これは南町通より市電が通っていたのです。ここで行き止まりという非常に変な路線ですが、南町通駅から郵便局前駅、芭蕉の辻駅までなのです。
懐かしいですねちんちん電車、北四番丁の通りも走っていて、車庫は現仙台市交通局の建物があるところでした。
幼いころ祖母に連れられて最後の花電車(市電廃止記念のお別れ電車)を見に行った記憶があります。
市電だけにちょっと脱線してしまいましたが、「芭蕉の辻」は松尾芭蕉とは関係ないという話でした。
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