北山 寂光寺の参道はここにあった
2015/6/11
2015/6/11
2014/11/25
先日10月にたまたま柏木にある林宅寺の入り口に古くから植えてある大きなアカマツの前を通りました。
普段青々としていたはずなのに、
葉が全て赤茶けていました。
針葉樹なのに紅葉するわけでもないのに…と心配していました。
11月に入り新聞にてそのアカマツが松食い虫に侵され明日伐採されるとの記事を見つけました。
やはりそうだったのか。
伐採される前のアカマツの勇姿を写真に収めたいと、カメラを手に向かいました。
木の脇には「ありがとうアカマツ」の文字が建てられていました。
樹齢はわかりませんが、長年地域の方に愛されてきたのは間違いないでしょう。
11月14日伐採当日
残念ながら松食い虫に侵され伐採されたことも悔やまれるのですが、
青々と茂っていたころのアカマツの写真を撮っていなかったことが大変悔やまれます。
2014/6/27
仙台の中心部から少し北に位置する北山には昔からのお寺が多い。
その中に資福寺があります。
資福寺は別名紫陽花寺と呼ばれるほど紫陽花がきれいに咲き誇るお寺として仙台でも有名です。
6月末、紫陽花が咲く時期になると境内の小書院にてお抹茶が設けられるのです。
お抹茶(菓子つき)は400円。
中に入ると建物の裏側に通され、座敷を抜けると目の前がすぐ池の外廊下に案内される。
板の間に腰を下ろし池越しに竹林を眺めると心が落ち着きます。
抹茶の美味しさもさることながら
目の前に見える風景、気候、場所、
そして菓子…、この全てが揃ったとき本来の味以上に至福を味わえるのではと感じました。
まさにそんなひと時を過ごすことができました。
実は抹茶と一緒に出された菓子は白松さんの最中と熊谷屋のハッカなんです。
資福寺は古いお寺で鎌倉時代に山形の米沢(現在の高畠町)に建立され、のちに伊達家に保護されるようになりました。
その後伊達家とともに岩出山へ移り、
されらに仙台谷地小路(現在の東六番丁)へ。
そして現在の北山へと移ったのです。
資福寺は政宗が幼少の時 梵天丸と名乗っていた当時、学問を学んだ場所。
父輝宗が梵天丸の学問の師とするべく虎哉和尚(こさいおしょう)を甲斐の国(甲州)より招き入れ資福寺の住職とした。
教育係の喜多に梵天丸が「梵天丸もかくありたい」(自分も不動明王のようになりたい)というセリフは有名ですね。
ちなみに紫陽花と時期を同じくして樹齢320年の木蓮の花も咲いているんですよ。
花の大きさは大人の顔ぐらいもあります。
2013/4/12
瑞巌寺
現在平成の大修理中の瑞巌寺、
建物はシートで覆われているので見ることは出来ません。
(ちなみに政宗はこの二本の松の木の間から中秋の名月を眺めたそうです)
しかしながら、逆にこの時期だからこそ、いやこの時期しか見れないものがあります。
瑞巌寺本堂が見れない分、特別公開されているものが三つもあるんです。
まず一つ、庫裡(庫裏)。
「くり」と読み、禅宗寺院の台所で昭和34年に国宝指定されている。
建物に入ると大きな屋根に沢山の梁がはりめぐらされ吹き抜けのようになっていました。
もう一つは大書院。
さらに奥に進み仮本堂に入ると広がる大書院には御本尊、大位牌、三大開山の木像が特別公開されています。
特に大位牌は身長ほどある本当に大きなもので存在感がすごい。
これが政宗の位牌だと思うとなんとも言えない気持ちになる。
(比較対象物が映り込んでいなくていまひとつ大きさが伝えられないのが残念)
そして陽徳院御霊屋。
陽徳院田村愛姫の墓堂で平成20年に創建当初の豪華絢爛な姿に復元された。
これも普段見ることのできないものです。
その他にも宝物館(余談ですがHOMOTUKANと読むんですね、ずっとHOUBUTUKANだと思っていました)では「国宝本堂解体修理展」が開催されており、取り外された欄間が展示されて豪華絢爛な桃山文化を垣間見ることができる。
また降三世明王像は松島五大堂に安置され33年に1度だけ開扉される秘仏で本来次に公開されるのは2039年、それが今見れるのです。
陽徳院御霊屋から宝物館に抜ける岩のトンネルの上に太い根をしっかりはりつけている巨木は欅の木で樹齢800年の夫婦欅だそうだ。
教えてくれたのは雨の中案内誘導していたおじさん。
瑞巌寺の係りのおじさん、警備のおじさん等はとてもとても親しげにいろいろ教えてくれます。
800年…、へぇ〜通りでものすごく太い幹をしているんだ。私のよく見かける欅は背が高く幹もある程度太いがここまでのものは見たことがない。800年前からずっとここの変化を見てきて、最近ではあの津波も見ていたのだな。
ちなみに山門から受付のある門までの参道周辺の杉の林は向かって左手の方が更地になっていた。津波の塩水で被害を受けたらしい。
あいにくその日は土砂降りでしたが、見に来て良かったです。
そして期間中にもう一度行きたい。今度は晴れた日にゆっくりと見たい。
それに隣の円通寺もおもしろそうだ。
今まで松島はだいたい遊覧船に乗っておしまいだったが、また楽しみが増えた。一日居ても飽きないだろう、いや一日じゃ足りないかもしれない。
2012/11/25
2012/7/2
2012/4/28
コメント (7件)
進展あったら書き込みしようといましたら大分日が空いてしまって失礼します。
この旧街道の先、枯木橋の傍らに、(確か)「月山大権現 羽黒山大権現 湯殿山大権現」と刻まれた石碑があり、その繋がりと田中様のように思っておりました。
せめて碑がある地に昔あった物がどのようにあったか知りたく、図書館で古地図を見ようとしたものの自力で探せずじまい、これ以上辿れずにいました。
久しぶりに碑の前を通ったついでに再度碑を見ました。すると、日が射してきて前には見えなかった文字を確認。
「金峯山 行者」
名前の隣に細く刻まれておりました。
脇に日付と講中立之の文字。
話は飛びますが。鉄門海上人についてネットで読んでいたところ、下記の表記がありました。
『上人の足跡が、北は北海道から関東にまで及び、庄内地方をはじめ上人の徳を称える頌徳碑がいたるところに建立しています。 主な石碑を一覧表にまとめましたが、現在も調査中です。 皆様の近くに『湯殿山 鉄門海』などと刻まれた石碑がありましたらお知らせ頂けると幸いに存じます。御協力をお願い致します。
県名 市町村 石碑数 場 所 碑 文 建立年月日
庄内町 22基 余目連枝 厳島神社 湯殿山行者 鐡門海
(一部抜粋)』
このような碑なのかもしれませんね。
金峯山寺、奈良の吉野に縁のあるお方と思いました。
遠き昔、このような方がいらっしゃった事、それを残して伝えた事、今、このように気づく事、少ししみじみと思いをはせました。
どこまで当たってるかわかりませんが、ネタを投げた者としてこれで話がとりあえず締められればすっきりしそうでしたので書き込みいたします。
石碑「徳音海」についての予想
各位
おばんでございます。
表記の件、思い当たることがあるので書き込み致します。
「徳音海」の文字がどのように刻まれていたかは存じ上げませんが、
私には人名の様に思われます。
では、どこの人間か。
現在の山形県、出羽三山の湯殿山系統の行者であれば納得できます。
明治の廃仏毀釈以前、出羽三山は月山と羽黒山が天台宗、
湯殿山は真言宗での奉仕を行っていました。
この湯殿山系統の行者には名乗りに特徴があり、
宗祖空海(湯殿山系統では湯殿山は空海の開山と申し上げる)から
一字頂戴し、「〇〇海」と名乗ります。
湯殿山系の即身仏になられた行人様には
真如海上人、鉄門海上人といずれも「海」が付きます。
とすると、徳音海上人に世話になった人が供養に建てたのではないかと。
予想する次第です。胎蔵界大日如来の種子が書いてあれば完璧なんですが。
羽黒山神社別当が寂光寺は形にはまっていますので
素直に行けばこれで。
田中さん
なるほどおもしろい推理ですね。梵字についてはまったくわからないですけど「徳音海」という文字の上に何か梵字が刻まれているようですね。
胎蔵界大日如来の種子かは私には判別着きませんが…。
詳しい説明ありがとうございました。
石垣のところで行き止まりに見える石段、以前はお寺があったのだろうかと、石段脇にあった石碑に刻まれた文字を頼りに探し始めたもののわからず、結局、廃寺の名前と地名からこちらのブログを見つけました。
石碑に刻まれた「徳音海」(ネットで検索してわからず)からお寺があったと推測してたのですが、もしかしたら石碑は旧街道に沿ってるからあるのかもしれませんね。
愛宕神社はあの地にずっと鎮座されてたと思ってました。
違う視点からの話を読めて面白かったです。
上れなくて、石段を上った先がどうなってるかわかったのがなによりでした。
ところで、近場に謎がもう一つあるのです。
鳥居前にある羽黒神社の案内図にある「帝釈天」。
とだけ、申しておきます。
ゆくゆくは境内でどなたかに尋ねようと思ってます。
バッケさん、こんにちは。
なるほど、北山霊園の下の道にある石段を調べていたらこのブログに辿り着いたのですね。
羽黒神社にある現在の愛宕神社がその昔、北山霊園あたりにあったという話は横田やさんのご主人にお聞きしました。
残念ながら石碑の「徳音海」については存じ上げませんでした。
「帝釈天」に関しましては、現在はありませんが、羽黒神社境内の愛宕神社のとなりに最近までありました。
しかし神社の建物の後ろに道路を通すためになぜか帝釈天だけが撤去されたそうです。震災の年あたりのことです。
ご返信ありがとうございます。
他の日付で帝釈天についてのお話をされているのを書き込みした後に気づきましてf(^^;)失礼しました。
帝釈天を奉ってるところを調べたときに仙台では羽黒神社だけでてきたのと、他の方のブログでは帝釈天とその後ろにあったお寺がなくなっているとあったので、移転に期待もしてましたが、そうでしたか。
境内では春にご神木を仰ぎ見る楽しみがあるのですが、御神木の下が古墳(昔からの自然の地形だと)だったとは思いもよらず。
住んでる北山の氏神様をようやく知る事もできました。
他にも興味あるお話があってためになりました。
ブログ、これからも拝読させていただきますね。
ありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。
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