春日神社前にある昭和15年当時の絵を見て説明する阿部さん。 ここから四ッ谷用水を先に進むとほどなく 四ッ谷用水の洗い場跡があります。 当時の階段状の石段がはっきりと残っています。 さらに進み土橋通を曲がります。 この通りは第一支流となり、下の本の表紙の写真は当時の同じ場所で右側がそれに当たります。(ちなみに自転車を置いて用水で何かしてる人は刃物の研ぎ屋さんで研いだ刃を濯いでるところだそうです) そしてここ 宮城県看護研修センターの真ん中にある松が当時から唯一残る松の木、一本だそうです。 ちょうどさきほどの昭和15年当時の絵に描かれていた池のある場所です。 【参照】春日神社前にある昭和15年当時の絵 ※先日のNHKの放送で使われたものと絵が違うようなのでもう一つ原画があるのでしょうか、絵はお堂の中に納められてるそうです) 第一支流跡(この先曲がって土橋通を行く) ちなみに土橋通と北六番丁通りの交差点の角にある建物はバイオテクノロジーを扱う立派な会社ですが当時は染織工場があって用水の水を使用していたそうです。
「四ツ谷用水遺構を歩いて辿る会」その3
2012/10/24
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