伊達政宗が築城した仙台城のある青葉山。
青葉山という名は実は現在北山にある羽黒神社と関係しているのです。
お話に入る前に言葉の意味を確認しておきましょう。
別当寺(べっとうじ):神社を管理するために置かれた寺のこと。
神社と寺がセットなんて変ですね、これは神仏習合が許されていた、つまり土着の信仰と仏教の良いところをとって新たに作り上げた信仰が一般的だった時代の話です。
政宗が仙台城を築城の際、
慶長七年(1602)残月亭の南脇、本丸と二の丸の間(植物園内)に、羽黒神社と別当寺(青葉山)・寂光寺(じゃっこうじ)が建立された。
慶長5年(1600)の松川の戦いにて上杉景勝と伊達政宗が戦った際、福島の信夫山(しのぶやま)にて寂光寺の法印慶印が劣勢に立たされた政宗を寺にかくまい、夜半に裏手から仙台に帰えらせたといわれている。
その後寺は焼き払われ、山伏や宮人は政宗とともに仙台へ移り住んだ、
このとき、仙台城の前身地に青葉山寂光院・羽黒大権現を移したのです。
この「青葉山」は「せいようざん」と読み寂光寺の山号であった、この山号より名をとって
「青葉山(あおばやま)」と称すようになったと言われています。
その後寛永15年(1638)二の丸が造営されるころまでその地にあり、羽黒神社とともに北山に移転した。
(北山に寂光寺が移転したのは慶長7年という記載が多いが寛永15年あたりのほうが年数的にも妥当と筆者は考える)
昔の地図にある(北山移転後の)寂光寺。右端は輪王寺でその脇の古海道は中山街道または秀衡街道と呼ばれ現在の北四番丁大衡線の一部分です。
現在の地図(寂光寺があった場所:詳細はわからないので想像です)
(クリックして拡大)
現在では羽黒神社のみ残っています。
コメント (1件)
「寂光寺」検索していましたら出会いました。
最近、寂光寺の参道がわかりました。横田や斜め向かいのピンク色のマンションが建っているところ。その北側に現在細い道がありますが(羽黒神社の脇までクランクして登る)その東側に立っている住宅1件分が元参道だったところと、むかしから参道わきに住んでいた方(90歳ぐらい)に1昨年聞きました。
私も、今のクランクした道が参道の一部と思い込んでいましたが、まったくその東側だったとは・・。そう聞いてから見ると確かに今立っている住宅は、参道の上に立っているように見えてきます。
コメントする