もうすでに始まっているのですが、4月3日より
熊谷屋のfacebookページを起ち上げました。
https://www.facebook.com/kumagaiya
ホームページ、twitter、ブログ、そしてfacebookとそれぞれの特長を生かし、皆さんに情報を発信していきたいです!
いいね! よろしくお願いします。
facebook始めました。
2013/4/3
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2013/4/2
臥龍梅:
別名「朝鮮梅」とも呼ばれている。地面に伏臥する様態から「臥龍梅」と呼ばれ、伊達政宗が文禄の役(1593)の際に朝鮮から持ち帰り、仙台城に植えさせた後、隠居所であった若林城(現宮城刑務所)に移植した。他に明治8年に分植された西公園のものと慶長14年(1609)、落慶の時に政宗公自ら手植えした松島の瑞巌寺本堂前のものと3本が有名。
といっても西公園と瑞巌寺のものは知りませんでした(汗)
その臥龍梅が北六番丁黒沢内科さんの庭にも立派に咲いていました。
上記の梅の種からか分稙したかは定かではありませんがおそらく関係してるものと思います。
黒沢家は大番士三百石だった。
「目で見る仙台の歴史」(仙台市市図録編纂委員会)より
「もう一つの廣瀬川」(佐藤昭典)より
今は建て直して昔の建物の名残はありませんが、臥龍梅は約150年間今ももとの場所にあります。
自転車置き場のところの門から一般の方も見れるようになっているので見頃の時期ぜひ行ってみてください。
ご覧になる際は木の根の周囲の土を踏まないよう注意してください。木が老齢のため根が傷みやすいのだそうです。
伊達正宗帰還の折に持ち帰った臥龍梅、とりわけ隠居所に植えられた臥龍梅(宮城刑務所内)はご覧になられたことがありますか?
瑞巌寺の臥龍梅は取材しており、なかなかスケールがおおきいものです。
2013/4/1
仙台歴史民俗資料館で開催中の「おやつ~今や昔の甘味事情~」を日曜日に見に行きました。
先週茶話会があって、あとでゆっくりと展示を拝見しますねと言ったものの、夕方4時ごろ到着しました。
そそくさと展示室に向かい、展示物を見ました。
我々のような菓子職人の紹介やお菓子の他、おやつと言えるものを様々展示していました。
そうだね、焼きおにぎりもおやつだったね、果物もおやつだったね。おやつってお菓子だけじゃないものねぇ…などと思いながら見ていました。
私の子供の頃のおやつと言いますと自分家のお菓子はもちろんなのですが、小学生の頃はよく友達と近くの駄菓子屋(一銭店屋)に行き少ないお小遣いを持って吟味しながらお菓子を買って食べた記憶があります。
その店も低学年のうちに店を辞め当時ではかなり早いコンビニ(サンクス)
に変わりました。
その後は小学校の裏にあった駄菓子屋でチェリオを飲んだり三色トリオ(アタリ付きアイス)を買っては当たり棒を交換してもらいました。それと当時はガチャガチャでキンケシ(キン肉マンの消しゴム)が流行っていたっけな。
遠足の時に自分でおやつを用意するようになってからは春日町の駄菓子屋(ファンシー文具なども取り扱っていた)で少ない金額でたくさん買って荷物の半分以上はお菓子で友達にびっくりされた。(笑)
あらためて思い返すと懐かしいなぁ。
館長さんへ
展示室に人気のおやつアンケートを記入するところがありましたが、うちの子供に仙台駄菓子を2票入れさせたので無効にしておいてください(笑)
そのあと昔のオモチャのある部屋で子供と夢中になっていたらあっという間に閉館時間になってしまいました。
4月17日まで開催しているので興味のある方、お時間のある方はぜひご覧ください!
またおもしろい企画がありましたら行きたいと思います。
2013/3/29
2013/3/27
平成24年11月17日(土)~平成25年4月14日(日)まで仙台歴史民俗資料館にて特別展「おやつ~今や昔の甘味事情~」という展示がされています。
その期間中のイベントとして茶話会「仙台駄菓子のお話~菓子職人さんを囲んで~」が3月23日に行われました。
今回熊谷屋の職人として私が呼ばれたわけですが、なんと参加者の皆さんは20名も来てくださいました。
中には虎屋文庫の方もいらっしゃいまして、びっくりしました。
会は熊谷屋の仙台駄菓子を8種類ほど資料館側で用意していただきそれらをお茶と一緒につまみながら話を聞くスタイルで、私は学芸員の畑井さんと会話形式でお話を進めていきました。
ちなみにその際に出た仙台駄菓子は「うさぎ玉」「うめぼし」「ゆびわ」「ハッカ」「黄金」「こうせん」「黒パン」「しぐれねじり」。
このように皆さんの前で講話をするのは不慣れではありましたが、学芸員の畑井さんの進行のおかげで楽しく過ごすことができました。
途中参加者の方々からいくつか質問もいただき、中には昔購入したささらあめを今も大切に冷凍庫で保管していらっしゃるという方もおられました。大変うれしい限りです。
企画展示物についてはあとでゆっくりと見に行きます。
4月14日まで行われているのでみなさんもぜひ見に行ってください。
2013/3/11
2013/3/6
携帯ゲームで移動ゲームのコロプラというものがあるのですが、この度リアル店舗としてコロカを扱うことになりました。
老舗がゲームに参加…とはおかしいようにも思われるでしょうが、若い人たちにももっともっと知っていただけるようにと思い参加しました。
コロプラのユーザーさんよろしくお願い申し上げます。
↓これが熊谷屋のコロカです。
コロプラ
http://colopl.co.jp/coloca_shop/
2013/3/4
以前「仙台の偉人、菅克復って人 知ってます?」というタイトルで書きましたが、
菅克復の屋敷はもともと北三番丁にあったという。
その詳しい場所を三居沢電気百年館の館長さんに尋ねたところ後日電話で教えてくださいました。
そこは現在の青葉区支倉町三丁目、大学病院の近くの仙台市交通局のバスプールがあるところの先の角あたりだったそうです。
ほぉ、そうだったのかぁ。念のためにうちにあったゼンリンの地図(97年版)で確認したら、
なんとそこの場所に「菅節蔵」さんというお名前が!
館長さんによると以前、菅克復さんの子孫であるという方がお見えになられて現在は札幌に住んでいるとか…。
地図は97年版なので現在その場所は大きなマンションが立っています。
もしかしたらこの人が札幌に引っ越したのかなぁ。想像は膨らみます。
市民会館から交通局を通り大学病院に突き当たるこの通りは、市電が開通するまで道は通っていなかったそうです。
写真の地図を見るとその道路を作るために敷地が削られたとして、昔はもっと東西に広い敷地だったのではないでしょうか。だって、自分の屋敷内に家内工業の機織り工場を作っちゃうんですからね。
よく見ると菅アパートなんていうのもありました。もしかしてこれも関係してるのかも…
あくまで想像ですが。
2013/2/20
2013/2/19
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