仙台人が仙台を好きになるブログ(熊谷屋ブログ 駄菓子屋さんです。)

2013年11月9日のアーカイブ

へくり沢をたずねて 現地調査

2013/11/28

前回10月24日に柏木市民センターで講座があり講師は東京スリバチ学会の皆川典久氏。この回は土木な話と題して次回の実地の予習的な感じでした。相変わらず、周囲の人は自分よりずっと年配の方がほとんどでした。
そして11月10日にいよいよへくり沢を歩いて辿る。
今回、変わったところと言えば若い人たちがちらほらおりました。学生の男子が二人と、若い女の子3人組。
女の子達に聞くと自分の住んでいる街についてなんか知れるかなと予備知識も特別な興味もなく軽い気持ちで参加したそうです。それでも興味深げに見ていました。
こんな感じで若い人でも参加するととても面白いですよ。普段毎日のように通っている道なのにこんなものがあるなんて知らなかったとか、昔は川だったのかと驚きがあります。
ではでは、簡単に辿ったコースを見て行きましょう。

集合場所は大崎八幡宮の鳥居下。
前回の講座で先生が私は雨男なんですと前もって謝ってましたが、当日は台風も近づき予告通りあいにくの空模様。なんとか終わりまでもってくれればいいなぁと祈りながら歩きました。
途中パラパラと降ってきましたが、フードをかぶるくらいでなんとか大丈夫でした。
八幡神社を出て、龍寶寺へと少し登り途中路地を曲がり先の四ッ谷用水の上を通りながらしばらく先で曲がり西友八幡店の脇から48号線を超えて、八幡杜の館に立ち寄りました。


ここは元造り酒屋の天賞の敷地で杜の館は天賞移転後一部建物を移築したものです。
建物内では展示物がその時によって変わります。

八幡杜の館をあとにして宮城第一高校の前を通って歩くとこんな看板がありました。

ここはよく自転車や車で通るのに初めて気づきました。さらにはその少し先にあるシーアイマンション中島丁の敷地内にある木がすごい。樹齢300年のたぶのき。

よく注意して見てたつもりでしたがわからないものですね。
敷地内には井戸もありました。
あとで知ったのですがここには他に2本も保存樹木あるそうであとでゆっくり見に行きたいと思います。
まっすぐ進むと尚絅女学院だが、手前左手は昔の十二軒丁にあたるそうだ。
尚絅女学院の脇から橋の下へ降り、澱不動尊前を通りながらへくり沢が広瀬川へとそそぐ出口を確認。

そこから沢跡を上に辿り土橋へとぶつかる。ここは細い獣道のような道を行き上へと登って行きます。
傾斜に沿って横に進む道、これは昔の土橋の名残で一段、二段と徐々に高くなったそうです。昔は沢の底まで降りて渡っていた。

土橋の上へ出ると現在の十二軒丁へ曲がり、すぐ脇に下る。
そこは土橋を挟んで橋の反対側の沢跡。

そこから北へ戻って八幡小学校の裏を北上。ここは昔深い沢だったが今は全くおもかげはない。道なりに行くと石切橋に出る。ここは沢こそ見えないが橋の名残がある。

春日神社に移動し、御堂の中を見せてもらうことができました。そこには今野喜一さんが描いた昭和15年ごろの周辺の絵で参道に設置されてるもののオリジナルが納められていて、今野さん本人に貴重なお話を聞くことができました。

四ッ谷用水と交差する地点を見、赤道を辿って寿徳寺方面へ。

最終的に国見児童館がゴール。ここは少し上方より湧き水があり堰き止めて堤を作り、その堤が現在の国見児童館あるところである。国見児童館脇から国見小学校の境の傾斜は堰き止めた名残。

ここからへくり沢は始まっている。
ここで本日の講座は終了なのだが、それを待っていたかのように急に雨足がひどくなった。とにかくギリギリまで天気がもってよかった。
それにしてもかなり歩いたなぁ。
【本日歩いたコース】 ※地図をクリックすると拡大して見れます


コメント (4件)

  1. kumagai-ya より:

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    これからもよろしくお願いします。

  2. caz3 より:

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    丁寧なご解説を頂き、ありがとうございました。なるほどよくわかりました。
    過去分の記事を読まずにコメントを書いてしまって、すみませんでした(笑) もう以前から詳しく解説されていたのですね。タグをたどって、へくり沢以外の記事も是非読ませていただきます。ありがとうございました。

  3. kumagai-ya より:

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    caz3さんコメントありがとうございます。おっしゃるとおり新坂通は南端の新坂に由来する名前です。もともとは新坂に通ずる道ということでその名がつけられました。土橋通も同様に土橋に通ずる道ということでその名がつきました。仙台で○○通というものは○○に通ずる道となりその先に○○があります。「こんな端っこに…合理的ではない」という風に思われるのも当然だと思いますが、先ほど述べたとおりです。ただ本ブログにもあるように「へくり沢(1)~土橋通りの土橋ってドコ?」(http://kumagaiya.exblog.jp/20455975/)の中で土橋までまっすぐ土橋通が直結していないことからどうして土橋通というのか最初疑問でしたが歴史の変遷をみることによって納得できます。

    結論を言うと土橋はへくり沢に架かる橋で四ッ谷用水に架かるものではありません。
    私も最初は四ッ谷用水を越えるところに架けた橋のこと言うのかと思っていましたが先に述べたとおり○○通の○○とはそういうことです。
    へくり沢に関する当ブログ順に読んでいただくとだんだんその変遷や理由がわかってくると思います。
    わたしもそういった疑問から書いたので内容を理解していただけると思っています。

  4. caz3 より:

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    はじめまして。楽しく読ませていただきました。
    突然申し訳ございませんが、お尋ねしたいことがあります。
    「土橋通り」の名前の由来についてなのですが、
    一般にはこのへくり沢にかかる土橋が名前の由来、と言われると思います。しかし、こちら http://www.melon.or.jp/melon/contents/Section/Water/wg/profiles/profile031.html には、四谷用水にかかった土橋を元にした地名である、と書かれていますね。どちらが正しいのでしょうか?
    へくり沢の土橋は、長い土橋通りの南端に在るので、こんな端っこに位置する物を元に通り名をつけるのは合理的でないのでは・・・、とも思ったのですが、すぐ近所の新坂通りはまさに通りの南端の坂が名前の由来です。お城から見て通りの入口にあたる南端の地形から通り名をつけた、とも思えます。いかがなものでしょうか。

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楽天優勝パレード

2013/11/26

11月24日 日曜日
この日は待ちに待った楽天イーグルスの優勝パレード
朝ちょっと小雨がパラつきましたが、その後は素晴らしい天気に恵まれました。
優勝パレードはもちろん初めてなので、ぜひともこの目で見たくて娘と二人で行きました。
着いたのがパレード開始1時間前の10時頃、すでにものすごい人でした。それでも最前列から3mくらいの位置を陣取ることができました。
パレードが始まると私は娘を担ぎあげ娘に撮影係を任せました。
私は娘を担ぎあげるのに必死で、もちろん人混みでほとんど見ることができませんでした。娘を抱える両腕も限界に近づき「あと(バス)何台だ?」「あと2台だよ」もう腕が持たない…。
その時です、「5代目にマー君が乗ってるよ!」との声に奮起し、田中将大選手が来たときは奇跡的に隙間から見ることができ、思わず「マー君!マー君!」(≧∇≦)と叫ぶ自分がいました(笑)
がんばったおかげでベストショットを撮ることができました。

星野監督

松井選手7

青山選手41

嶋選手37 奥にいます

則本選手14(左端 背中向けてます)

塩見選手11

豪郎選手27と鉄平選手46

長谷部選手20

聖沢選手23

藤田選手6

また来年も見たいな!


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バス広告~ゆめ☆まちプロジェクト

2013/11/12

仙台青年会議所の夢のあるまちづくり委員会が行う「ゆめ☆まちプロジェクト(みんなのまちへ想いをカタチに)」という事業に協賛いたしました。
この事業のテーマが「仙台の好きなところ(もの)〜ずっと残したいまちの宝」ということで市民から残したいまちの宝を写真や絵、川柳にして募集し、その中で受賞作品は宮城交通のバスなどに展示されました。
そのバス掲載の協賛するにあたって熊谷屋でも広告を出させてもらいました。
一年間このバスが走りますので、ぜひ見つけてください!
宮城交通バス、ナンバーは414。

他のバスやまち中にも展示されてるそうなので見てみてください!
また、仙台青年会議所では
第12回公開例会(11月)ゆめ☆まちプロジェクト~みんなの想いですてきな仙台の実現へ~
を行なうそうなのでぜひ足を運んでみてはどうでしょう。
入場無料
日時:11月16日(土)
場所:イベントホール松栄
住所:仙台市宮城野区榴岡1丁目2−8
時間:
【第1部】 09:00~10:30 作品展示
10:30~11:00 表彰式
【第2部】 11:00~12:30 講演
12:30~13:20 作品展示
講師:よしざわ けいこ


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古城の梅

2013/11/11

去年は時間がなくて見れなかった臥龍梅、今年は見ることができました。
若林にある宮城刑務所の敷地の中にある臥龍梅、11月の矯正祭で見学するとこができます。

さらに今回はちょうど発掘調査をしていたので、それも見ることができてラッキーでした。

大きな門をくぐって最初に目にするのは左右に大きく手を広げたように伸び続ける松。水平に伸びた枝の長さは15m、14mと非常に長い。種類は黒松であるが土井晩翠に「蟠竜の松」と名づけられた。

(「杜の都の名木・古木」より)
その松の先には発掘調査が行われている場所。
ここは政宗公が晩年過ごした若林城でその跡に刑務所が建てられた。老朽化と地震の影響で立て直すことになったが、若林城ゆえ発掘調査が行われたという次第。そこに行くと各作業員が説明してくれました。刑務所の外を流れる六郷堀が城内にも流れていたことを示す痕跡が見つかったとのこと。26日の新聞にも載った。
若林城は仙台藩祖 伊達政宗が仙台城築城後の寛永5年に「仙台屋敷」として造営した城で、晩年の政宗公は若林城を仙台での居所としました。寛永13年に政宗公が死去すると、遺言により城は廃絶され、『伊達治家記録』によると、城内の多くの建物は寛永15年に二代藩主の忠宗公が造営した仙台城二の丸に移築されました。その後、城跡藩が営む薬園となり、明治12年に宮城集治監が置かれました。
城跡の規模は東西420m、南北350mもあり、本丸部分としては他の大名の居城にも匹敵する広さがあります。周囲には高さ5mの土塁と外側には幅約20mの堀跡が巡り、土塁や門の配置から、戦を意識した城とも言われています。
(若林城跡発掘調査 第13次 遺跡見学会資料より)
そのあと受刑者の作業場を見学、ここは家具など木工用品を製作する場所で、なかなか年季のはいった建物だ。大きな体育館のようでもあり、その天井を見ると天井裏は木の板、また、天井から鉄の骨組みのような感じのものがぶら下がっている感じ。
作業場の次はいよいよ臥龍梅。
残念ながら花の時期には見ることはできないが見事なものだった。昭和17年に国の天然記念物に指定されて以来、刑務所の人も手入れをすることができず枝は伸び放題。(写真ではわかりずらいが)柵をかなり超えて枝を広げている。しかしながら老齢で花は年々小さくなっているのだそうだ。

(「杜の都の名木・古木」より)


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鮭の遡上 牛越橋

2013/11/9

今年も鮭の遡上が見られる季節になりました。
11月9日(土)に見てきましたがもう産卵を終え力尽きた鮭もみられました。
ちょうど土曜日で晴れていたので絶好の芋煮会日和だったようで、河原にはたくさんの学生たちが芋煮を楽しんでいました。

橋の下を覗くとたくさんの鮭が産卵のため必死に泳いでいました。

しかしながら残念なことに酔った学生らがふざけて鮭の泳いでいる川の中へ何度かほかの学生を投げ入れていました。「おっ、鮭がいるじゃん!」と鮭の存在を知りつつもやっている学生たちがいるのを見ているととても残念で仕方がない。
きちんとマナーをしっかりして楽しんでほしいものだ。


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コメント (2件)

  1. kumagai-ya より:

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    >りれきしょさん コメントありがとうございます。また遊びに来てください!

  2. りれきしょ より:

    SECRET: 0
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    とても魅力的な記事でした。
    また遊びに来ます!!

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四ッ谷用水の上流を訪ねて パート2

2013/11/1

北堰をあとにまたバスで移動して聖沢へ。
ここは聖沢をまたぐために木製の箱樋(水路橋)が架けられた。現在はコンクリート製で上の三つのスリットは降雨などで水量が多くなった際に余分な水を流すための穴。

写真はカーブする旧道を撮ったわけですが、実は昔直角の道だったとか。ガードレールの向こう、人がいるあたりが昔の道でその下を四ッ谷用水が通っている。

上の写真の先にあるのが池の跡。鬱蒼と生茂っているが現在は水はありません。昔の第三隧道出口付近にためられた防火用に使われた溜池。その証として「防火用水」という標柱がある。

「防火用水」という標柱はだいぶ古いもので以前は池の脇に立てられていたものが朽ちて倒れていたそうです。それを近くに住んでいる方が現在の場所に立て直したそうです。「火」という文字は確認できる。

さらに向こう側には隧道を掘る作業用の穴、「ズリ出し口跡」がありましたが、バスが停車することができず写真には撮れませんでした。
そしてさらに向こう側、八幡研修センター(旧文理ランドスケープ園芸専門学校)の敷地が昔の沈砂池だそうです。現在は水はありません。
そして今回いろいろ知った中でおもしろかったもの、それは「四ッ谷用水湧き上り」というものです。
下の方から隧道を通って上へと流れていく、まさに湧き上っているかのような場所です。実際のものはすでに無くなっているので確認することはできませんが、昔を知る方から聞いて書いた想像図を見ると、なんとも不思議な作りです。逆サイフォンの原理とも言われていますが、私にとって謎が多いです。なぜなら四ッ谷用水はそもそも河岸段丘に沿って緩やかな傾斜を利用して仙台の町へ流していたのになぜこのような構造をつくったのか?出口の作りがアーチ型だというので明治時代に造られたらしいが、謎は多い。

イメージ図から場所は賢淵あたりの国道48号線と弘法山の間あたりのようです。


この後は柏木市民センターで昼食ととり、休憩後ワークショップとして四ッ谷用水に対する意見交換をしました。四ッ谷用水の存在を広めるにはどのようにしたらよいかなど。
また、東北大雨宮キャンパス(農学部)が青葉山に移転するにあたりその後の土地活用の一つとしてなんとか四ッ谷用水に関するものができないだろうかなどという話も交わされました。北六番丁を本流とする四ッ谷用水はちょうど農学部のあたりを通っているのです。ぜひ有効利用できたらいいなと思います。
なんだかんだでまた長くなってしまいましたが、
今度は自分でまた行ってみて、じっくり見てきたいと思います。
今回見たところ


コメント (2件)

  1. kumagai-ya より:

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    さなえ様 いつもありがとうございます。またお越しの際はよろしくお願いします。

  2. さなえ88 より:

    SECRET: 0
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    今日もダッシュでくるみゆべしを15個買いました!只今名古屋への帰路ですが我慢できず一つ食べました(笑)
    相変わらず美味しいです。
    仙台の歴史も楽しく拝見しています。

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四ッ谷用水の上流を訪ねて パート1

2013/11/1

「政宗公の用水原点を見る!」と題しまして、「四ッ谷用水の水を街並みに!」市民の会で企画された四ッ谷用水の上流をバスでたどるツアーに参加してきました。
昨年、大崎八幡神社から支倉堀あたりまで歩くツアーに参加してとても勉強になりましたが、今回はその上流編。下流であれば自分でも簡単に見に行くことはできますが、上流となると難しい。県の管理している場所もありますし、…でもこういうツアーだから見れる場所がありました。
今回のバスツアーでいろいろ知ったことがありますが、まだまだ疑問・調べたいことがたくさんあります。なので、あまり深く掘り下げず見てきたことを中心に書きたいと思います。
朝の9時過ぎ霧雨が降る中仙台市役所噴水前に集合。

コースは市役所~郷六(現在の取水堰)~北堰(昔の取水堰)~工業用水沈砂池~聖沢掛樋~柏木市民センター~市役所前
このバスに乗って行きます。

四ッ谷堰に着きました。ここで県の管理している方から説明を受けました。ここに来るころには雨もなんとか止んでくれました。

ここの標高は65m、梅田川合流地点は40m、そこまでの距離は7.2kmなので0.3%の勾配を利用してうまく用水をながしています。
四ッ谷堰は以前はここから800m下流にあったものが時代とともにだんだんと上流に移動し、ここに移ったのは明治10年頃で、昭和30年代に工業用水に使われることなり、ピーク時は毎時4000トンも流していたそうです。震災の影響もあり現在は毎時1500トンほど流れているそうです。
この先は宮城野区大梶にある水道事務所まで約2時間かけて送られ、そこから塩釜市内・パークタウン・仙台港方面の各企業へと送られます。実際のここの操作は遠隔で大梶の事務所から行っているそうです。
ここでの管理は取水量の調整のほか、ゴミの除去、濁度の管理、pHの管理を行なっています。
濁度は10度以下、平均にして4~5度だそうです。
pHは7度に調整され流されます。これは薄くても濃くてもだめで、パイプを傷つけないためでもあります。
一番気を遣うのが油だそうです。上流から流れてくる油。すぐ近くにも生瀬橋(おいせばし)という橋もあり、そういった橋の上で車両事故が起こると車の油が川へ落ちる可能性があるため、事故情報には特に注意を払っているそうです。
これが除塵機。大きな熊手のようなもので落ち葉などのごみをかき上げて上部に集めます。

下から見たところ

ここに塵が集められます。よく見ると奥に大きなもずく蟹が!昔はもっとたくさんいたそうです。

この堰は川に対して斜めに設けられている全国でも珍しい堰だそうです。実は現在、川に対し斜めに堰を設けることは国で許可されないのだそうです。(すみません、理由は忘れました)
橋の下から左へ流れるのが広瀬川本流、本流から脇の水路に堰を利用して水を引き、先ほどの除塵機へ流れていく、そして余計な水は手前のところから本流へと戻してやります。

続いてバスで移動して沈砂池へ。

ここはA型開渠という。入り口から向かって左側には流していません。右側の池に流し込んで砂をとります。
水の入り口は馬蹄形の口で狭くすることで流れのスピードを速くさせ隧道途中で砂が沈まないようにしている。

ここにきて急に広くなるので流れがゆっくりになる。
横一列に並んだ孔の開いた清流壁に水を通すことにより流れるスピードを均一にしている。

さらにそこから歩いて広瀬川の方へと進むと北堰(昔の四ッ谷堰)が見れる。
現在は対岸に取水口があって、三居沢の水力発電へと流れていく。
取水口の向こうには郷六御殿跡が見える。


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