仙台人が仙台を好きになるブログ(熊谷屋ブログ 駄菓子屋さんです。)

カテゴリ:仙台さんぽ

資福寺の紫陽花

2014/6/27

仙台の中心部から少し北に位置する北山には昔からのお寺が多い。
その中に資福寺があります。

資福寺は別名紫陽花寺と呼ばれるほど紫陽花がきれいに咲き誇るお寺として仙台でも有名です。

 



6月末、紫陽花が咲く時期になると境内の小書院にてお抹茶が設けられるのです。


お抹茶(菓子つき)は400円。
中に入ると建物の裏側に通され、座敷を抜けると目の前がすぐ池の外廊下に案内される。
板の間に腰を下ろし池越しに竹林を眺めると心が落ち着きます。



抹茶の美味しさもさることながら
目の前に見える風景、気候、場所、
そして菓子…、この全てが揃ったとき本来の味以上に至福を味わえるのではと感じました。
まさにそんなひと時を過ごすことができました。

 


実は抹茶と一緒に出された菓子は白松さんの最中と熊谷屋のハッカなんです。

資福寺は古いお寺で鎌倉時代に山形の米沢(現在の高畠町)に建立され、のちに伊達家に保護されるようになりました。
その後伊達家とともに岩出山へ移り、
されらに仙台谷地小路(現在の東六番丁)へ。
そして現在の北山へと移ったのです。

資福寺は政宗が幼少の時 梵天丸と名乗っていた当時、学問を学んだ場所。
父輝宗が梵天丸の学問の師とするべく虎哉和尚(こさいおしょう)を甲斐の国(甲州)より招き入れ資福寺の住職とした。

教育係の喜多に梵天丸が「梵天丸もかくありたい」(自分も不動明王のようになりたい)というセリフは有名ですね。



ちなみに紫陽花と時期を同じくして樹齢320年の木蓮の花も咲いているんですよ。
花の大きさは大人の顔ぐらいもあります。

 


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仙台・あおば祭り 30周年

2014/6/4

若葉のあざやかな青が目に映える、さわやかな天気となった日曜日の朝。
18日の本祭りは絶好の祭り日和となりました。

北山にある青葉神社には朝からたくさんの人が集まり、御神輿が出てくるのを待っていました。
この風景は今も昔も変わりませんね。

奥に見える鳥居は2011年の東日本大震災で倒壊してから四年目にして再建されたもので、
仙台・あおば祭に間に合うように建てられました。


地元二中の生徒達も行列に参加しています。

 


9時20分を過ぎて御神輿が出てきました。

 


稚児行列、みんな可愛いですね。



横山味噌醤油屋さんの前を通過して行きます。横山さんも参加しています。



いよいよ熊谷屋の前まで来ました。
青葉神社からまっすぐ南下して
毎年この辺でみんな一度休憩をとります。



女御輿ですね。



場所を移動して勾当台公園付近へ。
様々な山車(だし)が雀踊りとともに練り歩きます。



そしてなんといっても今年は第三十回記念で宇和島の牛鬼が特別参加しているのです。
目の前で見るそれはとても迫力のある動きでした。
二匹の牛鬼を神輿のように担ぎ、絡みがあり、そして我々のいる沿道に向けて何度も振り下ろされる長い首。
とても見ごたえがありました。


https://www.youtube.com/watch?v=i4X7gG9AS_U&feature=youtu.be
↑画像をクリックすると映像が見れます。


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ひよんの木

2014/3/20

昭和24年度版復刻JTB仙台市街圖の地図を見ていると大学病院の敷地にヒヨンノ木という表記があった。なんとなく見過ごしてしまうような小さな字ですが、ちょっと待てよ、なんで木の名前がわざわざ地図に載っているのか?と疑問に思いました。何か理由があるはずそして今もあるはずと確信しました。

しかし何度地図のあたりを歩いてもそれらしき木も看板も無い。
もしかしてもう無くなってしまったのか?東北大学に問合せたら教えてくれるのか、などとしばらく考えていました。

東北大学付属病院の脇の通り北四番丁-大衡線の通りは毎日通る道。車からよく見ているはずの木。ふと気が付いてあの木はずいぶん大きな紅葉の木だなぁ、近くから見てみたい。
と思い普段車で素通りするところを車を降りて近くに行ってみました。なるほど立派な木だ。これなら仙台市の保存樹木にでもなってそうなものだ。よく見ると保存樹木の看板が傍に立っていた。やっぱり…。


しかしそこには「紅葉」ではなく「ひよんの木」の文字が記載してありました。まさかこれが 紅葉ではなく「ひよんのき」?
…ではなく、隣の木が「ひよんのき」だったのです。

地図の位置とはずれているので移動したのかもしれませんがおそらくこれがあのひょんの木でしょう。
大学病院の歴史とこの木がどのように関係しているのかはわかりませんが、同じ歴史を刻んできた木であることには間違いありません。

今さらですが、「ひょんの木」という名前は変わった名前ですよね。そもそも変わった名前だからこそ目に止まったのかもしれません。
ひよんの木(ヒョンノキ)は正式名称をマンサク科のイスノスキという植物です。その葉にアブラムシの仲間が作る虫コブがある。虫コブとはアブラムシの仲間が葉に卵を産み幼虫が成長する過程で葉の細胞が異常に膨れできたコブのようなもので成虫になる時に開けられた穴から息を吹き込むとヒューヒューと音がなるのでその名がついたそうです。
ヒューヒュー…ヒョンヒョン…ひよんの木。

追記:
このひよんの木は「要説 宮城の郷土誌(続)」によるともともと西南部、四国、九州が自生地で、仙台で自然生していない植物であると、また栽培できる北限が仙台でこれだけ旺盛に繁茂するのは珍しいそうです。東北大学附属病院は藩政時代、武家屋敷でその家の人がひよんの木を移植したものらしい。元の場所は大学病院構内関口外科〔第二外科。関口→桂→葛西外科〕と産婦人科病室との中間の東端にあったのですが両建物は、昭和 50 年代の初めには新設棟に移り、取毀し撤去されたようなので、恐らく木も工事に伴い移動したと思われます。
なぜ移動までしてひよんの木を残したのかというと東北大学医学部第二外科教室の同門会の名が「瓢木会」といい、先に述べた建物の前にあったひよんの木から名をとったものだったからでしょう。
こういったことから東北大医学部のひよんの木は歴史的にも植物学的にも大変珍しいものでもあるといえるでしょう。

木のある場所の敷地は歩道より高い位置にあって意外といつも通っていても意外と気づきにくいかもしれませんが時間のある時ちょっと立ち止まって見るのもいいと思います。


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コメント (2件)

  1. 鈴木博 より:

    東北大学第二外科同門会の名称「瓢の木会」の由来ともなった「瓢木」は少なくとも第二外科の開設当初の大正初期より第二外科医局の入り口に立っていたと思われます。昭和30年代末に病棟、医局とも移転しましたが「瓢木」はそのままに保存され、移植など位置の移動はありません。
    隣の紅葉の木のほうが樹勢が盛んで成長も早く、かっては「瓢木」のほうが大きな木でしたが、今では紅葉の木に圧倒されてしまっているような状態です。大学に紅葉の木の枝打ちをお願いして「瓢木」にかかる枝を落としてもらったこともありました。今後とも大切に見守っていきたいと思います。

    1. admin より:

      鈴木様
      コメントありがとうございます。「瓢木」は位置の移動などは無かったのですね。地図上の位置は実際の場所よりかなり西側に位置していますが、これは間違いというか適当な印なのでしょうかね。
      また、当時隣のモミジの木のほうが小さく「瓢木」のほうが大きかった樹齢もすごかったのでそちらのほうが目立っていて、現在では大きさが逆転したということを知りますと、いろいろなことが納得できますね。
      今では少々目立たなくなってはしまいましたが、これからも東北大学病院のシンボルとして大切にしたいですね。

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あのレンガアーチがなくなる⁈ 通称 X(エックス)橋

2014/2/20

大正10年に造られたというX橋。
仙台の人には馴染みあるX橋、
仙台駅の北側にあり線路によって分断された元寺小路と名掛丁のそれぞれ東西両端を結ぶ形が>--<になっており、正式名称を宮城野橋という。
橋の両端が二股に分かれているのがXに見えることからX橋と呼ばれるようになりました。

(大正元年)

(昭和3年)
かく言う私も正式名称を知りませんでした。
宮城野橋は大正10年に当時高価なアスファルト舗装で造られ、戦後昭和36年に二代目ができたらしいですが、その際全て新しくしたのか部分的に造り直したのかよくわかりません。
したがってアエルの裏に位置するレンガでできた跨道橋すなわち宮城野橋西レンガアーチがいつのものなのかよくわかりません。
もし誰かわかる方がいたら教えてください。
後日仙台市の道路管理課管理係より返答をいただき、昭和36年に作られたものだそうです。
X橋の一部の使われなくなった石材は仙台駅東口にある塩竈神社の石畳に再利用されていることはあまり知られてないでしょう。


名掛丁藤村広場にあるモニュメント

X橋はもともと旧仙台城二の丸の第二師団と、歩兵第四連隊(現榴岡公園)や練兵場(現宮城野原公園総合運動場)との間を結ぶため建設されました。
現在新宮城野橋はほぼ完成に近い状態まで出来上がってきていますが、先ほどのレンガアーチ状の跨道橋は写真撮影時2月7日現在まだありました。
都市計画で宮城野橋が新しくなる、道路が広くなる、渋滞が緩和され便利になる。
しかしレンガアーチはどうなるんだろう?


このレンガ造りのアーチトンネルはとても味があって好きでした。そのまま当然残されるのだろうと勝手に思っていました。
しかしながら、先日それも壊されてしまうということを知人より知らされて大変ショックを受けました。
壊されるのもショックでしたが、壊されることが全く報道されないということです。
アエルの展望台から撮った写真を見ると現在片道が完成されてもう片方がちょうど跨道橋にぶつかるようです。


今も作業は進んでいます。

背の高いビルの裏にあるのでもしかしたら仙台の人でも知らない人が多いのかもしれませんが、数少ない仙台中心部の遺構がなくなってしまうのは大変残念なことだと思います。
※現在、仙台市の道路管理課管理係の話によると保存の有無に関して歴史的価値並びに保存方法を含め、総合的な観点より検討中だそうです。
また宮城野橋の延長線から一本入った元寺小路沿いに一軒だけあるお店の早坂陶器店は周辺の区画整理で2月いっぱいで移転するそうです。


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さらば農学部

2014/2/18

北六番丁沿い、ちょうど勝山スケートセンターがあった場所の向かいに東北大学の農学部があります。そこは街中であるのに閑静で自然が多かったり、羊などが放牧されていて、それを見に近くの保育園児達がお散歩に来たりと憩いの場にもなっています。
また周辺には小学校や中学校などの教育機関も多い。


今度 東北大学農学部雨宮キャンパスの青葉山への移転により、現在の敷地が別な用途へと使われることになります。
昨年(平成25年)の4月に仙台市と仙台商工会議所と東北大学でもその敷地の活用と街づくりに議論が交わされ商業施設・居住施設・医療施設・オアシス空間などを盛り込んだ土地利用構想が考えられ、それに基づき施設などが設けられる予定らしい。
そしてこの度1月初めに入札が開始され同月31日にイオングループに落札されたことになったのは新聞などのニュースでも記憶に新しいと思います。
現在の農学部には旧制第二高等学校時代の建物があり、
現在でも入口の守衛室としては使われており大変貴重なものです。
屋根はマンサード風で北仙台駅の駅舎にも同じ様な形が見られる。
(計画によると残されるようです)

他にも旧体育館の建物がありましたが残念ながら守衛さんによると去年の春あたりに解体されてしまったそうです。
現在の様子(砂利の空地のところに建物はあった)

また戦後しばらく宮城県第一女子高等学校があったらしく、その碑も残してほしい。

また脇の雨宮堤通には雨宮神社(磐上神社)がひっそりとあり、その境内あたりには四ツ谷用水の名残で用水に架けられた橋が残っていると聞いたことがある。

実際見てみるとこれのことなのか。(白い部分)

四ッ谷用水は北六番丁を本流とし梅田川へとそそいでいく。
そして農学部の近辺にはその名残である欄干の標柱が残されている。
これは当時仙台市長だった島野市長に付属小学校4年生の児童たちが手紙を送って保存を懇願したことによって残されたものであるという。

今後どのように再利用再開発されていくのかはわからないが、四ッ谷用水を市民に知ってもらうチャンスとして、農学部跡地には四ッ谷用水の資料館などの施設をぜひ盛り込んでほしい。


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仙台駄菓子の熊谷屋がある場所はこんなところです

2014/1/15

地下鉄仙台南北線北四番丁駅から3分ほど、熊谷屋がある木町通二丁目、ここは昔の名を北鍛冶町という。
仙台藩の時代、店の前の通りは「奥州街道」といい、ここから二日町そして国分町の芭蕉の辻へとつながりさらには江戸まで続いていました。江戸時代の五街道のひとつで白河以北は参勤交代の交通に使われるなど交通の要所でありました。
今は私の子供のころとは(30年ほど前)すっかり街並みも変わってしまったが昔は北鍛冶町商店街として今よりも多くのお店がありました。
ちょっと現在の写真を見ながら30年ほど前の風景を思い出しながら散策してみましょう。
まずは国道48号線を挟んで二日町方面。向かって右手のLAWSONは最初サンチェーンでした。
変わって左側の角の三階建ての建物はかなり古く、当時すでに年数の経ったような建物でした。そしてその焼肉屋(ジャント)さんがある場所には八百屋さんがありました。しかもそこのオヤジさんはプレートのついた市場の帽子をかぶりジャリ銭などのお金は吊るされたザルの中。時代の流れでビニールのレジ袋が主流になってきた頃でも四角い紙の袋でザ昭和の八百屋という感じでした。

ちなみに奥の「花火」と書かれたビルは仙台七夕花火祭にはかかせない芳賀鉄砲火薬店で、シドニーオリンピックの花火も手掛けた名工です。
それでは北鍛冶町に入り、現在セブンイレブンがあるところは昔エッソのガソリンスタンドでした。
その反対側の不動産屋さん(ハートフルハウス)の建物はもともとケーキ屋さんの時のものです。当時ショートケーキが120円くらいの時代。現在は瑞鳳殿の入口にお店があります。

その後ろのマンションは以前はさまん商店という雑貨屋さん、小さなホームセンターと言ったところでしょうか。
下の写真で手前の木の辺りが先ほどのマンションのところでその奥隣のコインパーキングの場所には昔魚屋さんがありました。大泉魚店さんといい、創業天保5年。
さらにその奥には小さな下駄履物屋さんがありました。
そしてその奥隣に熊谷屋。

現在熊谷屋の奥隣は手前に駐車場、奥にアパートなどの建物ですが、駐車場部分には朝日園というお茶屋さんがあったんです。
その隣は洋服の仕立て屋、パーマ屋さん。
写真で車が2台駐車しているところは中地畳屋さんでした。
残念ながら今では全部なくなっていまいました。

電柱手前黄色い看板の建物は現在2階が学習塾ですが向かって左側の白い方の1階が昔、ハンバーグ屋さんで、今では有名になった支倉ハンバーグの本店で愛子に移転しましたが残念ながら愛子も閉店してしまいました。とても美味しかったんですよ、同じような味は大学病院向かいにある支倉ハンバーグでも味わえます。
当時北四番丁から北六番丁までの間の唯一の飲食店だったのでは。

熊谷屋の向いは(滝廉太郎作曲した)「荒城の月」の作詞をした土井晩翠の生家があったところなんです。(現在の薬局)
その隣の骨董雑貨屋のくじらやさんはその前はウルマ商店という古い商店で果物や缶詰ほか生鮮以外の食品を扱っていたと記憶してます。(建物はそのまま)
その隣が今井時計屋と加藤硝子店。(現在は建物ありません)その空地(駐車場)の隣が伊澤竹細工屋さん、昔はいろいろと竹細工を作っていましたが現在は仙台七夕の玉の骨組みを作っています。(多分今年の七夕に向けてもう作り出していると思います)

上の写真で島津布団店の隣は映画館のフォーラム。できた当時はこんなところに映画館⁈と思いましたが、今では人気の映画館となりました。上は伊澤竹に雀ビルというマンションでもともとここは「伊澤竹に雀本舗」という造り酒屋でした。
その向かいにある台湾料理の店(海鮮館)は以前小山書店だったところを改装して料理店に(最近閉店してしまいましたがここの激辛台湾ラーメンは好きでした)、駐車場を挟んでその先の小さな建物は伊勢屋精肉店だったところで、コロッケがとても評判でいつもお昼には売り切れでとてもおいしかったのですが、残念ながら店主が体調を壊し閉店となり今では幻のコロッケとなってしまいました。今でも世界一安くておいしくいコロッケだったと私は思っています。


映画館フォーラムの斜め向かいの角のお店は昔は10円20円の駄菓子屋さんで子供の頃よく遊びに行きました。その後コンビニが珍しい当時、近所では第一号のコンビニのサンクスになりました。(当時ものすごい出来事だったと記憶しています)
特にここ北五番丁まで昔はかなりお店がありその裏にも多くの小さな家がひしめき合っていました。奥に長いとはいえ現在駐車場になっているところを見るとここに何十軒もの世帯が暮らしていたと思うとあらためてびっくりです。
そしてこちらが地元スーパーのITO。新鮮な野菜や魚がおいしい!現在地中海風の外装ですがお店を構える前は行商して市場で仕入れたものを売って歩いたそうです。

相当昔の写真がこちらです。ほぼ定点観測です。「伊藤八百屋」と奥に「ミドリ美容院」が見えます。

ITOスーパー向かいのタイ料理店サバイサバイ、見た目入りづらい外装ですがとてもおいしいですよ。
これより北は戦災から免れたため古い建物がところどころ残っています。

1985年の木町通二丁目の写真です。


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閖上朝市

2013/12/1

12月1日に閖上朝市がグランドオープンということで、行ってまいりました。



お天気も良く、大勢の人が来て賑わっていました。駐車している車の量もいっぱいでした。





ちゃんと避難誘導の看板もありました。





市場に到着したのは遅めの10時近くでしたが、普段ならもう終わりの時間ですがグランドオープンということでまだまだやっていました。午後1時まで。

市場のお魚もいつもながらすごかったですが、食べ物屋さんも多くなった?



昔のレイアウトは入り口からテントなどが並び奥の建物がコの字になっていてそこに魚屋さんやお肉屋さんがありましたが、

新市場は入り口入ってすぐから建物率が高い印象を受けました。人がたくさんだったので全てを見る余裕はありませんでしたが、建物は右側に二列奥へ続き間にテントの列が並びメインの通路はその間を行く二つ。



会場左側にはイートインの建物が4軒ほど並び、その先にはこの日秋田B級グルメのお店がありました。



一番奥にはメイプル館と称したお食事処の建物がありました。



お買い物の最後は必ずここで締めです。

個人的に大好きな豊華さんの水餃子!

これにキムチを山盛りにのせて食べるとうまいんだなぁ、幸せ〜!







この地が再び活気づくことを祈願してお買い物させていただきました。

また来ます‼


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楽天優勝パレード

2013/11/26

11月24日 日曜日
この日は待ちに待った楽天イーグルスの優勝パレード
朝ちょっと小雨がパラつきましたが、その後は素晴らしい天気に恵まれました。
優勝パレードはもちろん初めてなので、ぜひともこの目で見たくて娘と二人で行きました。
着いたのがパレード開始1時間前の10時頃、すでにものすごい人でした。それでも最前列から3mくらいの位置を陣取ることができました。
パレードが始まると私は娘を担ぎあげ娘に撮影係を任せました。
私は娘を担ぎあげるのに必死で、もちろん人混みでほとんど見ることができませんでした。娘を抱える両腕も限界に近づき「あと(バス)何台だ?」「あと2台だよ」もう腕が持たない…。
その時です、「5代目にマー君が乗ってるよ!」との声に奮起し、田中将大選手が来たときは奇跡的に隙間から見ることができ、思わず「マー君!マー君!」(≧∇≦)と叫ぶ自分がいました(笑)
がんばったおかげでベストショットを撮ることができました。

星野監督

松井選手7

青山選手41

嶋選手37 奥にいます

則本選手14(左端 背中向けてます)

塩見選手11

豪郎選手27と鉄平選手46

長谷部選手20

聖沢選手23

藤田選手6

また来年も見たいな!


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鮭の遡上 牛越橋

2013/11/9

今年も鮭の遡上が見られる季節になりました。
11月9日(土)に見てきましたがもう産卵を終え力尽きた鮭もみられました。
ちょうど土曜日で晴れていたので絶好の芋煮会日和だったようで、河原にはたくさんの学生たちが芋煮を楽しんでいました。

橋の下を覗くとたくさんの鮭が産卵のため必死に泳いでいました。

しかしながら残念なことに酔った学生らがふざけて鮭の泳いでいる川の中へ何度かほかの学生を投げ入れていました。「おっ、鮭がいるじゃん!」と鮭の存在を知りつつもやっている学生たちがいるのを見ているととても残念で仕方がない。
きちんとマナーをしっかりして楽しんでほしいものだ。


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コメント (2件)

  1. kumagai-ya より:

    SECRET: 0
    PASS:
    >りれきしょさん コメントありがとうございます。また遊びに来てください!

  2. りれきしょ より:

    SECRET: 0
    PASS:
    とても魅力的な記事でした。
    また遊びに来ます!!

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根白石の七夕飾り

2013/8/10

仙台七夕まつりも、初日は雨に見舞われましたが残り二日間真夏の天気で無事終えることができました。
七夕飾りは一番町やおおまちアーケードから名掛丁、駅前だけでなく、荒町や北仙台とメインから離れたところでもそれぞれの商店街や町が工夫を凝らし立派な七夕飾りを飾っていました。
観光客はメインの場所しか見ることはないですが荒町のものはメインの物とはまた違い、なんか昔の七夕風景を思わせるような感じでとてもすばらしいものです。
(すみません写真撮ってないです)
また少し離れて泉区の根白石の七夕飾りは他とは変わっていて鉢植えの竹なのです。
それが民家の軒先に飾られているのはとてものどかでいいものです。
こちらもぜひ足をのばして見ていただきたいものです。




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