仙台人が仙台を好きになるブログ(熊谷屋ブログ 駄菓子屋さんです。)

2012年5月のアーカイブ

半子町(子平町)の藤

2012/5/25

先日半子町(子平町)の藤を見てきました。(臨時駐車場は建物脇に4~5台停められる臨時駐車場が用意されていましたが公共機関などで行くことをおすすめします。) 今年の解放期間は5月の23日~27日までですが、他の辺りの藤はほとんど咲き終えていたので少し不安でした。 始まってわりとすぐ行ったんですが、案の定最盛期は少し過ぎていました。 去年、仙台市指定天然記念物になったんですね。 なにげに初めて行ったんですが満開だったらもっときれいだろうなと思うとまた来年に期待します。 いくつか撮った写真をご覧ください。 う~ん、となりの咲き終えた?枝が気になる~ なんとか綺麗に撮れたかな? 花の多いところを選んで撮ってみました。

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伊達の御家騒動(仙台市博物館)

2012/5/21

先日の記事で仙台市博物館へ行って「仙台藩の御家騒動 寛文事件を追いかけろ!」という企画展を見てきたことについて書きましたが、御家騒動について少し詳しく述べていきたいと思います。 前記事でもう一度期間中に行きたいと言っていましたが、なんと3回も行ってしまいました。 (一度では見きれませんでした[#IMAGE|S37#]) 伊達家御家騒動はいわゆる寛文事件の事をさします。 そしてそれは三代目藩主綱宗の隠居に始まり江戸での刃傷事件で終わります。 今回の企画展のメインの「伊達の黒箱」というものは刃傷事件後の約1ヶ月の事件処理に関する文書が納められた箱の通称。この文書を紐解くことによって真相を究明するという企画展です。 (このなかの文書を見ることによって当時の様子が細かくうかがえます) 寛文事件は綱宗の隠居に始まります。 綱宗は酒や女遊びにふけて放蕩してばかりいたので、家臣より藩政を危ぶむ声が出て 家臣は筑後柳川藩主立花忠茂に相談した。 (立花忠茂は2代目藩主忠宗の娘鍋姫が嫁いだ先だったので伊達藩全体の後見人的な立場だった) そこで ダメな藩主を隠居させ次の代の藩主をたてるいわゆる「主君押込め」をした。 (「主君押込め」とは江戸時代の風潮で戦国時代の下剋上のように主君が変わるということはせず藩を守るために次の代に変えるということをしていました。) 幕府に申し立てをして綱宗は病気という建前で隠居させ、 4代目にその息子、亀千代(のちの綱村)をたてることにしました。 しかしながら亀千代はまだ2歳であったため後見人を立てることにしたのです。 その後見人とは伊達兵部宗勝と田村右京宗良のふたり。 兵部は藩祖正宗の十男、右京は2代目忠宗三男。 二人は各々三万石ずつ与えられ内分大名になった。 兵部は一関藩、右京は岩沼藩。 以後、兵部は観察役の目付を重用ししだいに専売をふるうことになった。 その他、伊東七十郎の処刑にみられるように、自分に不利な件に対しては残忍な処罰を与えることが多かった。 このようにして兵部の専売がしだいに藩士からの批判の的になっていった。 一方で伊達一門である伊達安芸(遠田郡)と伊達式部(桃生郡)の間に領地の境界争いが起こり、一時は落ち着いたのだが伊達安芸は納得が行かず、幕府に申し立てをする事になった。 (この時期の領地境界争いは、ちょうど新田開発で土地を切り拓いて田畑を広げていたために起こった争いである。) この幕府への申し立てを公けにするという事が意味するのは仙台藩に調停能力が無いということを幕府に示すことになり、仙台藩としてはよくないことでありました。 伊達安芸が幕府に申し立てた内容は、 境界争い以外に、 兵部が好き勝手に藩政をとりしきっている、 奉行同士が仲が悪い(ために藩政がうまく機能していない)、 処罰者が増えている(兵部による行きすぎる処罰)、 ということまで訴えています。 (これらの内容はのちに忠義の家臣といわれる所以ですが、裁判に勝つためにいろいろと相手の不利な状況証拠を挙げているようにも思えます。) 裁判の様子(歌舞伎『伽羅先代萩』) 裁判は伊達安芸に有利に進み勝利が決まる寸前(寛文11年3月27日)に原田甲斐が突然乱心して伊達安芸に斬りかかるという刃傷事件が起こった。 その事件で伊達安芸は殺され、同席していた柴田と蜂屋も原田と斬り合いになったが老中酒田家家臣に混乱中三人とも殺された。 同席した中で唯一生き残ったのは古内志摩義如でした。 刃傷事件の様子(歌舞伎『伽羅先代萩』) その後原田一族は幕府のお膝元で刃傷事件を起こしたということで御家断絶にされ、 兵部は高知へ配流された。 しかし仙台藩主である綱元(綱村)はまだ幼少のため責任は無いとし、 仙台藩自体は御咎め無しとなり 藩は安泰となった。 4月3日にその旨が内諾され、 4月6日に正式に書面にて報告がなされた。 以上、これが伊達の御家騒動になりますが、 この企画展ではそれぞれのその後を追って説明をしていますので興味深いものがあります。 (小学生にもわかりやすく説明したプレートも用意されていました) 6月10日(日)までまだまだ日にちはありますのでぜひ見に行ってみてはいかがでしょうか? いや仙台人としてはぜひ見るべきだと思います!

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天皇陛下がくるみゆべしを御買上げになった!?

2012/5/14

先日の5月12日に天皇皇后両陛下が仙台へ行幸啓なされ泉区にあるロイヤルパークホテルに御宿泊なされたことは みなさんニュース等でご存知だと思います。 12日の夜、宿泊先のロイヤルパークホテルにて 伝統的工芸品、食料品、被災地域商品など宮城県産品を約140点展示され、 その中の一つに当店のくるみゆべしも展示されました。 両陛下がはそのひとつひとつをご覧になられたそうです。 (1時間10分という限られた時間内でなかなか忙しいかったでしょうが…) そしてなんと天皇陛下じきじきにくるみゆべしをお選びになられて 15入りの箱詰めを4箱も御注文いただきました。 まことに光栄な限りです!! (宮城県物産協会の方から連絡を受け、翌日の日曜日にホテルまで届けてまいりました。 残念ながらご出発なされたあとでお顔を拝見することはできませんでしたが) 物産協会の方のお話によりますとくるみゆべしの前で足を止めてご覧になっていたそうです。

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マラソンと宮城復興絆プロジェクト(イベント)

2012/5/14

平成24年5月13日(日)杜の都仙台にて晴天のもと、 国際ハーフマラソンが行われました。 仙台、しかも比較的街中に住んでいながらこうしたマラソンや駅伝の街頭応援に来たのは初めてでした。 8:50スタートから時間を計算して約7kmの折り返し地点である定禅寺通ににて10:00ころから待機。 すでにおおくのギャラリーの方で通りの両歩道は埋め尽くされていました。 到着10分程度でさっそく先頭ランナーが参り、それは藤原新選手でした! 残念ながらあっというまに通過していき、写真は撮れなかったのですが奇跡的に なんと公務員ランナーの川内優輝選手をぎりぎり画面内に収めることができました! ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ ピントはぜんぜん合っていませんが(笑)、まぎれもなく本人です!! これだけでも来た甲斐があった! 応援の後はJCI宮城ブロックが主催している宮城復興絆プロジェクトというものが 勾当台公園の広場で催していたので覗いてみました。 東日本大震災の復興支援への感謝を込めてプラ版で携帯ストラップを作りました。 その後ちょうど「リアスの戦士イーガー」ショーが始まりました。 ちょうどいいから子供たちといっしょに観覧しました。 まぁまぁ、よくあるヒーローショーだと思ってみていたら、 まぁこれがおもしろくけっこう大人の方がウケまくりでした(笑) 悪人役のクララーゲのMCのほうが長い、そしておもしろい[#IMAGE|S3#] こんな構成のしかたもあるもんだなと笑って見ていました。 うちの4歳の息子はというと悪者に怖がって「イーガー!来て-!」と本気で叫んでいました(笑) 「イーガー、ありがとうー!」 最終的にイーガーが悪者を倒して憲法について述べる(その日のテーマ)というものだったのですが、 正直、テーマの部分が伝わったかは微妙です。(汗) 着ぐるみは雑でしたが内容にクオリティがあって、こちらの方が好きです。

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朝日神社の杉が倒れたのはいつ?

2012/5/11

上杉通(愛宕上杉通)という通りが仙台にあります。 他に中杉通、二本杉通、杉山通という名の通りが近くにある。 いずれも杉という文字が入っているが、これは現在の台原で伊達藩四代藩主綱村の時代に杉を栽培していて当時杉山台と呼ばれそこへ向かう道を杉山通と呼んだことによります。 上杉通はきちんとした言い方をすれば上杉山通で城に近いほうだから上、次に中(杉山通)、杉山通となったそうです。                       ↑ そして二本杉通も杉山台方面へ向かう道なのですがその名前の由来は他の三つとは違うみたいです。 そもそも二本杉通は花京院あたりから盲学校のあたりまでの道を指すのですが、 盲学校のところにある朝日神社の境内にある二本の大きな杉(翁杉・姥杉)にその名は由来するそうです。  応和3年(963)此地に勧請。文治5年(1189)8月源頼朝奥州征伐の折,藤原泰衡が中山物見ケ岡(小田原台原丘陵)に退き防塁の陣を張り,頼朝の軍勢は二本杉の処に進みこの神祠に詣でた。その時,あたかも朝日が昇ってくるのを見たので朝日明神の名を残したと云われる。当社は守子の社(もりこのやしろ)と称され,朝日神子が農村の子等を集めて読書手習を教えた処で又幼児の守護神として百日咳を癒す霊験ありと信ぜられ守子の社の名が伝えられた。朝日神子(巫女)は寛文年間(1661~73)当社に仕えた傍ら付近の田野を開墾水利を推考して桜田川と梅田川を開き耕作に便を与えた。これ朝日神子が神のお告げによったもので農民をよく指導した其の功を賞し村民挙げて崇敬した。後に伊達氏命じて一祠を建立して神に祭った。神木二本の杉は古来翁杉姥杉と呼ばれ(樹齢約600年)ていたが翁杉の方が樹勢弱まり昭和9年(1934)3月21日の大暴風雨の際,中途から吹折られた。現在の二本杉は樹齢から見て其頃植継がれたものと思われる。二本杉通りの町名もこの老杉故に称された。(縁起案内掲示) 案内板には上記のように書いてはあるが見ると確かに杉は一本途中から折れている。 しかしながら昭和9年に折れたにしては周囲の柵の衝撃を受けた跡が新しいような気がしてならない。 柵の材質自体もここ10~20年くらいのものに感じます、いくら調べてもこれ以上の情報は見つからないのでどなたか(特に近所の方)知りませんでしょうか? ↑左側の木は杉ではありません、草むらに隠れてわかりませんがその隣に3m位の高さで折れた杉がありました。 ↑わりと新しいアルミの柵ですよね。 ↑倒れ、折れた杉。

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仙台郵便局創設之地の石碑

2012/5/9

北法人会青年部会の役員会が新仙台ビルであったので出席してきました。 そこまでは徒歩で行くと国分町をまっすぐ行くのですが、 この日は普段まったく気付くことのなかった石碑がふと目に入ってきたのです。 なんだろうこんなところに石碑が… よく見てみると 「仙台郵便局創設之地」と書いてありましたので、 早速ネットで調べたら、(厳密にいうと)実は仙台郵便局の創設の地はこの場所じゃなかったらしい。 →詳しくはこちらなるほどね カレーうどん屋さんの前です。

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(追記)ブログのHPリンク完了

2012/5/9

本ブログが熊谷屋HPとリンクされました! サイドメニューの「仙台ぶらり旅」(ブログタイトルとは違いますが…)をクリックするとブログへ移動します。 しかしながら、chromeで熊谷屋HP(http://www.kumagai-ya.co.jp/)を開くと新着情報のページが空白だったり、ブログ(http://kumagaiya.exblog.jp/のリンクがされていなかったりしてますが、注文は通常通りできます。 なおIEやsafariからは正常に表示されますのでそちらからどうぞ。 またこれからもおもしろい記事を書いていくつもりなので是非ブックマークをお願いします! 2012.5.15追記 今まで私のパソコンではchromeブラウザからは新着情報ページが表示されなかったりしていましたが、 試しに別ブラウザで表示させたURLをコピーしてchromeに貼り付けて移動したところなんと、きちんと表示されたのです! 原因は不明ですが、何かの不具合で自分のパソコンだけの問題だったのでしょう、 その後は普通に表示されるようになりました。 お騒がせいたしました。

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こどもの日

2012/5/5

今年のGW中はあいにくの天気で先日はかなりの大雨で道路のいたるところから雨水が噴出していました。 そんな天気もうそのような本日、五月五日のこどもの日。 つかのまの青空でしょうか。 さてさて、こどもの日といえば鯉のぼり、兜、そして柏餅! GWにお出かけや外食も楽しいですが、日本の風習として 柏餅を食べて季節を感じてみてください! そして柏の葉は次の葉が出てくるまで落ちないという縁起物なんです。 柏餅はこしあんの他にみそあんとつぶし餡(草)の3種類を用意しておりますよ!

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かわいいパンダさん!

2012/5/2

ただいまかわいいパンダの箱に入った駄菓子セットを販売しています。ぜひお土産にどうぞ! (こちらは本店、エスパル店、長町モール店にてお買い求めできます) この写真はこの前カメラマンさんに簡単ですが少しカメラの撮り方を教わったので、自分で撮ってみたものです。 一応、簡易スタジオを購入してきて使ってみました。 まだまだ未熟ですが、なんとか上手に撮れたでしょうか?(笑)

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