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へくり沢にはもっと上流に源流があった

2016/10/29

柏木市民センターでの事業
「へくり沢ウォーキング」
今回で4回目です。ひとまず最後になります。
最初の1〜2回目は2015年の11月に行われれ、柏木市民センターから出発してへくり沢を下って広瀬川との合流地点まで歩くというもの。
3回目は6月に行われる、今度は逆に上流へと歩きました。出発は新坂の上にある知事公館からで春日神社の辺りまで行き柏木市民センターへ戻るというもの。

そして今回はこれまではへくり沢の下流部分を歩いたのに対して、「源流を訪ねる」と題しまして上流部分を初めて歩きました。

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参加した人数は定員の15名。

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まずは出発前に模型を使って予習です。

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いつもは最後になる春日神社から始まり今野さんも張り切って説明していました。

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ここは四ツ谷用水とへくり沢が交差する所なので、四ツ谷用水の洗い場跡を見学して、実際立体交差している部分の上に立ちました。
みんなが立っているのが四ツ谷用水の上で、2枚目の画面左側石垣が見え土地が下がっているのがわかると思いますが、へくり沢の滝の部分です。

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へぇ〜この下を四ツ谷用水が流れているのかぁ。

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へくり沢の暗渠部分は道が赤くなっていて赤道と呼ばれています。その赤道を辿って行きます。

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途中タコ公園で一休み?

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さらに歩くと国見小学校に着きます。

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道路に出てから国見コミュニティーセンターへ向かいます。

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信号の隣に花がお供えされていますが交通事故とかそういうものではなく疱瘡神様なのです。
もともと国見台病院の敷地にあったものの一つで病院を建てる祭、移動したそうです。

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背後の建物は国見児童館でここがその昔堤でした。つまりため池でここからへくり沢が下流へと流れて行くのです。

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ちなみにこのすぐ上の国見コミュニティーセンターも堤で2段階になっていました。

少し移動して福聚幼稚園の駐車場に来ました。ここから下を見ると地形が溝のようになっています。
これはへくり沢へと流れ込む支流でキツネ沢いうそうです。

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柵の右側の溝がキツネ沢になります。

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下の国見コミュニティーセンターから見た写真で正面の木の左側に側溝がありますがそこの場所を通って堤に流れ込んでいたと思われます。
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近くに仙山線の駅、東北福祉大駅がありその脇に道路が通っていますが、駅が作られる以前は芋沢街道と言って細い道が本道として使われていました。
それでも昔はバスが通っていたそうですが、今ではその街道を横切る踏切は人しか通れません。

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先ほどコミュニティーセンターと児童館の堤からへくり沢が始まると言いましたが、実は源流はもっと上なのです。
堤とは川を堰き止めてため池を作り農業用水として使っていたのです。ならばその先にもっと上があるのは当然です。

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芋沢街道の踏切を越えた少し先が本当のへくり沢の源流だったのです。
ここは昔の地名で一ノ坂、二ノ坂というそうで、今でもその名残が感じとられる建物の名前があるというのはとてもいいことですね。

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ということで今回はここで解散です。


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へくり沢探索ツアー

2016/6/4

3年前から柏木市民センターではへくり沢について講座が行われてきました。
最初は3〜4回に分けて講師を呼んで講座がありまして、私はへくり沢に興味があったのですべての講座に参加しました。

【へくり沢おさらい】
仙台城下町の北西に位置する深い沢、現在の八幡町あたり。
そこにかかる橋を土橋といい、そこに通ずる道を土橋通りと呼んだ。
へくり沢はどこなのか、土橋はどこなのか、なぜ土橋通りと呼ぶのか、幾つかの疑問を持っていたところにちょうどこの講座があったので参加しました。
その後講座を受けた人の中から有志で昭和33年の仙台市の地形模型を製作し、翌年には今野さんの描いた絵を参考に八幡町界隈のジオラマを作製。いずれもへくり沢の地形が詳しくわかるものでした。

この事業は4年間と決まっているそうで、今年がラストイヤー。その集大成で完成直後まずは一般の方を迎え事業報告会、そして翌年の柏木市民センター祭りで来場者への披露及び説明、
さらに実際にへくり沢跡を受講者たちが今までの知識を元に市民(まち歩き参加者を募り)に説明しながら歩く事業を行いました。
すでに去年の11月に2度行っており、今回は3度目。

今回のスタッフメンバーは柏木市民センター小野館長と山内さん、有志メンバーより私の他、北波さん、三品さん、鹿戸さん、付き添いで青葉区中央市民センターのお二人。その他、春日神社待機組が今野さんと皆川さんです。

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今回6月4日に行われ、この日はとても天気が良く、良すぎて日焼けしてしまうほどでした。
前回の集合場所は柏木市民センターでしたが今回は知事公館です。

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ここはすぐ下に新坂という坂があります。新坂というからには新しい坂です。そしてそこへ向かう道を新坂通りと呼びます。
現在の新坂通りはそこから大学病院を越して北側に位置します。そこは新坂町がありますがそこから南には大学病院に突き当たります。
しかし本来なら大学病院ができる前は道があり、さきほどの新坂まで繋がっていたのです。
ちなみに大学病院ができて寸断された時は西側脇に新新坂通りが作られました。

新坂は新しい坂と申しましたが、これはへくり沢を渡るために元禄年間頃に新しく作られた坂という意味です。

館長さんの挨拶と北波さんの解説。

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まずは15人ほど参加者が集まり2班に分かれて出発しました。
最初は知事公館よりすぐ下にある東北で最古の板碑、澱橋不動尊。

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それについて一通り説明が終わると何やら隣の民家に移動してここには大砲の弾があると説明してくれました。
説明してくれたのはそこに住む方でした。何やら集まっているのを見てせっかくだからと庭の敷地に入れていただきました。他人の家なので本当は入っていけないのですがご主人自ら説明してもらい、思わぬ偶然にラッキーでした。この砲弾はロシア戦争の時のものらしいです。

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そこからへくり沢の河口にあたる地域を歩きました、ここは暗渠で現在、住宅地になっています。ちょうど尚絅女学院の裏の崖です。

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上の写真は下の写真の住宅の真ん中を通る道路を歩いているところです。

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とても深い崖になっていますが、普通河口でしたら浅く広がりをみせています。しかしその昔へくり沢と広瀬川は平行して流れていて、流れの速い広瀬川にその一部を取られてしまったのです。いわゆる河川争奪で途中からもぎ取られたため本来の河口部分が無くなり深い沢からいきなり広瀬川に流れるような形になったのです。

集落を抜けると壁にぶち当たります、この壁こそが土橋なのです。よく見るとジグザグにつたって上に登る道があります。国道48号戦から尚絅女学院へ向かう途中両側を見ると両側は深い崖のようになっています。つまり沢を横切るように道が走っているのです。

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土橋に上がってから疱瘡神を見学。
これは一見何でもないような石ですが、ここを工事した時に掘り起こされ、その後、実はたいへん古いものだと判明しこの場所に祀られたそうです。

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我々がここから移動しようとした際にここの町内会長さんが声をかけてきて疱瘡神について当時の事を話してくれました。掘り起こされ時は単なる石と思われ捨てられたのですが後から貴重な歴史的石だということがわかって一生懸命探したそうです。誰も見向きもしない石を一生懸命見ている人達がいたので声をかけたそうです。
当時の話を当事者から聞くのはとても貴重でした。

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土橋の反対側に周り、急な斜面を下りて行きました。ここもへくり沢の深い崖です。
その昔、戦前ここには旧制ニ高のアイスホッケーのリンクがあったそうです。
当時リンクを管理していた庄子さんのご子息がそこに住んでいてお話を聞くことができました。

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現在は建物が建っていますがそこにリンクがありそこに張った水はへくり沢の水ではなくもともとは四谷用水の水だったのだそうです。四谷用水とへくり沢が交差する春日神社の掛樋から12月の5日間朝の8時から夕方の5時までへくり沢へと解放したのです。そしてリンク使用中、へくり沢はリンクの下を流れていたらしいです。

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なぜここにリンクを作ったか?ここはスペースがあり深い沢で日陰なので氷がなかなか溶けにくいことが理由にあげられます。
大きさは30m×60m、これらのことは尚歯会の文献に残っているそうです。

このあとへくり沢の暗渠に沿って遡り石切橋まで移動しました。

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ここまでくるとへくり沢はある程度細く浅く、渡りやすくなりこの橋を通って昔の人は西側と東側の往来をしていました。
逆に言えばここしか橋が渡せず、中島丁の侍もみな遠回りをしてここを通ることになります。
ここは昔の欄干の名残があります。

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春日神社に移動して待機していた今野さんが説明をしてくださいました。
社殿の中に掛けられた今野さんが子供の頃の昭和15年頃の記憶をもとに本人の描いた八幡小学校界隈の絵図を見ながら、説明を受けました。質問も多く出てなかなか終わらなかったようです。

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春日神社の社殿より参道入り口の鳥居までいくつか段差があり、その途中を四谷用水が横切っています。神社より東へ30mほど行くと昔四谷用水の水を使って洗い物をしていた洗い場跡があります。

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今回はへくり沢がメインなのでいったん戻り、いわゆる赤道(あかみち)となった暗渠を辿ります。この赤道は春日神社脇の四谷用水と交差するところから国見小学校あたりまで続く遊歩道になっています。

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交差の場所はあの「プラタモリ」でタモリさんも訪れたところ。

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赤道をしばらく進み、道は更に続くのですがタコ公園のところで右折して土橋通りに出て柏木市民センターへと向かいました。
市民センターに着いて総括をしたところで解散。

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柏木ふれあいまつりでへくり沢の研究発表

2015/10/10

柏木市民センターで「柏木ふれあいまつり」が10月4日に開催され、外では屋台で飲食ができ、体育館ではステージで踊りや中学生の琴の演奏などがありました。
また館内では各サークルの発表に混じり、へくり沢の地形模型とジオラマも展示されました。










柏木市民センターは元仙台高校跡地にある市民センターです。体育館は街の中ではけっこう広いのではないでしょうか。会議室も十分な広さがあり、そこでへくり沢を中心とした昭和33年の地図をもとに作成した地形模型と八幡小学校界隈とへくり沢の昭和12年ころのジオラマ模型を展示しました。







地形模型は2014年の2月から有志8名ほどで半年かけて作ったものです。厚さ3mmのスチレンボードに昭和33の仙台の地図を写したものを数十枚用意し地道にカッターで切り、重ねていったものです。これでより立体的に地図を見ることができ、へくり沢の崖の深さを目で確認することができます。

ジオラマ模型はさらに対象地域をクローズアップし八幡町の春日神社入り口にある今野氏の昭和12年ころの記憶をもとに描いた絵を参考に作成しました。模型は単に地形ばかりでなく当時の建物により近づけて作りました。また田んぼや畑、その他の木々も記憶をもとに細かく再現いたしました。
当時を知る人にとってこの模型はとても懐かしいものなったでしょう。


このジオラマは地形模型完成後に着手し、これも半年くらいかかり2015年の春に完成しました。最初市電は複線で作製したのですが、この年はまだ単線だったとの意見から複線から単線へ付け替えたりして細かいところまでこだわっています。

作製に関わった受講生の我々は素人ながらに今まで学んできたことを活かして来場者に解説・説明をしました。

熊谷屋ブログも参考として並べさせていただきました。




こちらは蒲生の地形模型で宮城野区中央市民センターのみなさんが作成したものです。 




我々は単にこれらのものを作ってきただけではなく、それの前には3回の講義と1回の現調をしてへくり沢について学び調べてきました。
講師の方のお話だけではなく、今野氏の昔の記憶や受講生メンバーで地元の方の記憶の話や地質に詳しい先生などの話も交えてとても貴重な事柄を知ることができました。これは講座に参加したり本で調べたりするだけでは知り得ない貴重な情報でした。 


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