仙台人が仙台を好きになるブログ(熊谷屋ブログ 駄菓子屋さんです。)

木町通二丁目について調べてみました

2012/6/29

熊谷屋が所在する場所、木町通二丁目。
店の前の通りは奥州街道、旧町名を北鍛冶町という。
そしてここの近辺には木町という地名と木町通一丁目という地名があります。
二丁目があるのだから一丁目があるのは至極当然、
しかしながら「通」という名が付いているのに二つの地域を貫いている通りは無い、
それが昔からなんか腑に落ちない感じが私にはありました。
地図上で二つの区域を確認すると国道48号線(作並街道)を境に南北にブロックが分かれ
さらに東西に少しずれているのがわかります。

そもそも通とはそこへ通ずる道という意であり、この場合「木町」へ通ずる道なのである。
木町通はもともとあった地名で大町二丁目あたりから北山の覚範寺へ至る通りを「木町通」と呼んでた、
そして「木町」は立町から定禅寺通櫓丁までの間を呼んでいた。
きちんとした名称は材木町で、そこは幕府より木材専売の特許を与えられていた、その後南材木町、北材木町(定禅寺通櫓丁裏)ができ本材木町という名に変遷した。

※現在でこそ大学病院から北山へ伸びる道路はトンネルへと続くが昔は手前で斜めに折れ撹範寺へと突き当たっていた。
これらのことから昔の木町通は現在の一丁目の真ん中寄りを縦断していることから、
二丁目に関しては縦断ではなく端が木町通に接しているということで地名が付けられたようだ。
(もちろん当時他にも新地名の候補があったが)
そして残る現在の「木町」という地名は単に木町通上にある地域だからその名をとっただけでそこがもともとの木町すなわち材木町とは関係ないのだという。


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コメント (2件)

  1. 菅原稔郎 より:

    本日、野蒜築港のことを調べていたら、2014/12/1付け本ブログに辿り着き、
    木町の植木氏(知人です)の祖先のお話や、さらには木町の地名の由来の謎が
    解けました。
    藩政時代、足軽屋敷が多かったあの界隈がなぜ「木町」なのか以前から疑問に
    感じておりました、お陰様でスッキリしました。ありがとうございます。

    1. admin より:

      コメントありがとうございます。疑問がすっきりしてよかったですね。ブログを書いた甲斐があります。

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